のぶの詳細プロフィール

のぶの詳細プロフィール

こんにちは。のぶです。

わたしは現在個人事業主としてパソコン関連の仕事をしながら奥さんと猫2匹と共に大分県は別府市で暮らしています。

別府に来たのはわたしが40歳の頃なので今から5年前になります。

別府に暮らし始めて感じたことは自然が豊かであること、食べ物が美味しいこと、温泉といったことがありますが、どうも地元の人はそれらの事が当たり前すぎて(または興味がなくて)いまいちピンと来ていないのではないかということです。

このブログではわたしが感じる別府や大分県・九州の良いところや悪いとこも含めた魅力をお伝え出来ればいいなと思っております。

ブログの紹介が終わったところで、まずはわたし「のぶ」の自己紹介をしていきたいと思います。

マンガとレゴと塀探検

東京は杉並区という比較的閑静な住宅街で生まれ育ちました。

小学生の頃は一つ上の兄や近所の子らと隠れんぼや缶蹴りなどをしたり、塀探検(塀の上を歩いてどこに抜けるのか、またはどこまで行けるのかを競う?遊び。わたしたちが勝手に命名)をしたり、インドアではマンガを書いたりレゴで遊ぶのが好きでした。

居場所のなさを感じた中学時代

中学生になると、得意だった絵(マンガ)の才能が井の中の蛙だったことを痛感したり、運動部ではないものの脚の速さを買われリレーのアンカーに抜擢されるなど、人並みに挫折と成功体験を重ねていきました。

しかし周りの人たちがクラス内でグループを形成していくなか、わたしはどのグループに属しても違和感を感じていました。

そんな居場所のない子がどこのクラスにも一人や二人はいるもので、やがてそういう子らが集まり、初めて自分の居場所を確保できたような気がしました。

そんなわたしたちのことを周りは不良やらヤンキーと呼びました。

専門学校からデザイン会社就職

「義務教育終わったのに誰が好き好んで勉強なんかするか!」(当時の先輩談)という言葉に感化されて、視野も狭かったわたしには初めから高校受験という選択肢はなく、人よりもちょっとだけ上手な絵の才能を活かすべくデザインの専門学校に行きました。

1年で無事卒業し、デザイン会社を紹介されるがままに就職しました。

しかしそのデザイン会社は1年で辞め、親父が務めていた建設会社へ転職しました(単車を買ったものの、中卒駆け出しデザイナーの安月給ではローンが払えなかったのが原因)。

転職したら天職だった

転職した当初こそ見習いなので給料も安かったのですが(それでも20万はあった気がします)すぐに給料は30万にアップ。

17歳で給料30万は破格でした。仕事は建物(ビルやマンション)の基礎を作る場所打ち杭工法の一つで「アースドリル」というもので詳細は省きますが、まあとにかく朝は早いし、終わるのも遅く、雨でもほぼ休みになることはなく、泥と油にまみれて、常に危険と隣り合わせで(実際に骨盤骨折左手親指切断した知り合いもいます)、当時3K(キツイ・汚い・危険)という言葉がありましたが、その3Kの最たるものでした。

しかしわたしにとっては本当に天職のようでした。

ユンボやクレーンと言った重機を操縦したり、アーク溶接・ガス溶接をしたり、色々な事を学び、キツイことも多々ありましたが、一つの現場を終えた時の達成感や次の現場への期待感等、楽しかったことの方が多かったです。

実際29歳まで続けるのですが、不景気で仕事が無くならなければ今でも続けていたかも知れません。

そしてIT業界へ

1995年にWindows95が発売されると空前のパソコンブームがやってきました。

当時22~23歳だったわたしもその波に乗るべく40万のデスクトップパソコンを購入し、絵を書いたりホームページを作ったり、来るべき時に備えてパソコンスキルを磨いていました。

そんなわたしにとって不景気で仕事がなくなったときにIT業界へ進出することは自明の理でした。

恵比寿にあったIT関連企業でデータ入力のアルバイトを始めてその後紆余曲折を経て就職することになります。

そこではデータ入力のバイトとはいえ、わたしの好奇心も手伝って色々な事を学び、実践しました。それらが出来る環境だったことも幸いしています。

excel、word、dreamweaver、photoshop、illustrator、perl、javascript、php、linuxといったソフトや技術を独学で習得し、今でも大いに役に立っています。

まさかの居酒屋店長に

IT関連企業では非常に居心地がよく、むしろわたし的には良すぎたのか、なんだかぬるま湯に浸かっている感が出てきて、丁度その頃、知り合いから居酒屋を新規オープンするので手伝ってくれないかと誘われていたこともあり、転職することにしました。35~36歳くらいの時と記憶しています。

そこでは約3年ほど働いたのですが、最後の1年は店長を任せていただき貴重な経験をすることができました。

特に12月の忘年会シーズンの忙しさと言ったら、新宿三丁目という場所柄も手伝って地獄のような忙しさでした。

開店前から既に予約で席はほぼ埋まっていながらも新規のお客様をテトリスの如く詰込み、迅速な乾杯ビール、ひっきりなしのオーダー、うず高く積まれた洗い物の山、当時はそれらを考えるより早く動いて捌かないと間に合わない状況でした。

あまりの忙しさに思わず笑ってしまうことも1度や2度ではありません。

しかしその居酒屋は2度目の忘年会シーズンを迎える前に上の経営的判断から暖簾を下ろすことになりました。

出戻り、そして別府へ

居酒屋が無くなって間もない頃に、以前のIT関連企業の上司にばったり遭遇し、近況を話していると「明日からウチにおいでよ。上には俺から話しておくから」と誘われたので一も二もなく引き受けました。

別府や大阪、上海、セブへの出張、会長についてまわっての営業という名の接待等々、目まぐるしく1年が過ぎたころ、東京支社を閉めるという話がありました。

このIT関連企業は別府に本社があり、業績の悪化に伴い東京は閉めるので希望があれば別府に住むところは用意しますとのことでした。

以前から別府には出張で行っていて機会があれば住んでみたいと思っていたので、当時飼っていた猫2匹を連れて新幹線に乗り込み一路別府へ!

なんやかやあり無職→個人事業主へ

それから2年ほどは何事もなく、わたしも別府暮らしを満喫していましたが、東京を閉めて一時的には良くなった業績も焼け石に水だったようで、間もなく倒産、はい解散!

無職になったわたしは、半年ほどの充電期間(ニート)を設け、自分に何が出来るかを自問し、そして別府という街で何が求められているかを考えた結果、今の商売を始めるに至りました。

別府はこんなにも素晴らしい

これは何も別府に限った話ではないと思うのですが、特にわたしのような外から来た人間だからこそ見える部分があると思います。

なので、わたしが感じる別府の、大分の、九州の素晴らしいことを積極的に紹介していきたいと思っています。

特に、温泉、食べ物、遺跡や史跡あたりがわたしが好きということもあり、記事の中心になるかと思いますが、それら以外でも良いと思ったことは都度紹介していきます。