乙原の滝伝説2 吉祥寺

乙原の滝伝説2 吉祥寺

こんにちは。のぶです。

大分県は別府市にラクテンチという遊園地があります。

ラクテンチと聞くと、2017年にラクテンチ湯~園地化計画の名のもとにクラウドファウンディングで8200万円を調達したというニュースが記憶に新しいかと思います。

しかしラクテンチには別府市民ですら知る人が少ない歴史や伝説があるのです。

今回はその中から乙原の滝伝説に残っている吉祥寺(きっしょうじ)のお話です。

まず乙原の滝伝説とはなんぞやという方のために説明します。

ラクテンチの裏に、歩いて15分ほどのところに「乙原(おとばる)の滝」という名勝があります。

その乙原の滝には以下の伝説が古くから地元の人に残されています。

乙原の滝伝説その1

その昔、滝の上の巖頭天狗岩で修行していた修験山伏の開祖、役小角(えんのおづぬ)が朝見村の人畜を害する赤と青の二頭の鬼を法力を以って立石山の大岩石の下に封じ込めた。

乙原の滝伝説その2

仁聞菩薩が滝の上で修行していたとき、隅々生身の観世音大士が現れ、吉祥を具現したので、仁聞菩薩は三体尊容を刻んで吉祥寺(きっしょうじ)に安置した。

乙原の滝伝説その3

滝壺に雌雄二頭の大蛇が棲み、乙原の里の人々を悩ませていたとき、大友氏時(大友氏八代)は、鎌倉より豊後に下向してきた昌華祐和尚に大蛇を退治するよう願った。和尚は滝壺で一心不乱に法華経を誦読し、見事この大蛇を退治した。

 

ということで、まずは伝説その2に出てくる「吉祥寺」を探してみます。

その答えは程なく見つかりました。

「別府大学地域連携プログラム」の中に「大友氏時」に関する論考があり、それによると、

『平成4年の新聞にラクテンチ内にある大友氏時建立の吉祥寺跡から宝物が掘り出されるか』と書いてあることから、どうやら吉祥寺という寺は現存していなくて、ラクテンチの中に跡があるらしいという事をつかみました。

早速ラクテンチへ行ってみましょう。

ラクテンチの園内マップを見ても、それらしい記述はどこにもありません。

ラクテンチの中の人に聞いてみると、イベントホール(マップ左側17番)の辺りに、それらしいものがあると教えていただきました。

 

ありました。どこがどういう風に跡なのかわかりませんが、看板にはしっかり「史跡 吉祥寺跡 及 開山塔」と書いてあります。

すぐそばには、

開山塔でしょうか…。しかし何も書いてありません。

そしてすぐ裏には

塔の一部とみられるものが置かれています。

これは恐らく、こういったものだったのではないでしょうか。

いずれにせよ、この塔がなんであるかはわかりません。

しかし、ここで新たな発見をしました。

今いる場所は地図で見ると、

赤丸のところにいます。ここはラクテンチの敷地のはじっこで、道を挟んだすぐ向かいにも吉祥寺跡があったのです。

どうしてこのようになったのかはわかりません。またはこの辺り一帯から吉祥寺の跡が見つかったのかも知れません。

何はともあれ行ってみましょう。

民家の庭にあるようですが、ちょっと失礼して見てみましょう。

これが開山塔です。

そしてこれが大友氏時の墓とも言われている宝篋印塔です。

「大友氏時之塔」「二月廿一日」と銘があります。

 

また、奥へ行くと、キリシタン墓や、

五輪塔群もあります。

 

冒頭の、「別府大学地域連携プログラム」の中の「大友氏時」に関する論考には、さらに『足利幕府の命令で吉祥寺を焼き払われた』との記述があり、その戦いで戦死した28人の地侍の墓がラクテンチ内に散らばっていたものを一ヶ所にまとめた「二十八人塚」なるものが建てられているとのこと。

ですが、これは結局わかりませんでした。

機会があれば再度ラクテンチ及びその周辺を探してみましょう。

さらに、仁聞菩薩が三体尊容を刻んで安置したとされる「何か」も結局わからずじまいでした。

平成4年の発掘工事では結局何も出てこなかったそうなので、おそらくはまだ発見されていないだけなのか、焼き払われた際に打ち壊されてしまったのかはわかりません。

 

ちなみに、ラクテンチ内には「乙原稲荷神社」があります。

これに関してはいずれまた・・・。